徒然甘蕉

chebuwriterのブログ

調味料や薬味を食いたい衝動。

私は調味料や薬味が好きである。

特定の料理を食べたい、というより生姜や七味、柚子胡椒、マスタードなどを食べたい時がしばしばある。

そんな時どうするか、私はある程度食べたいと思った調味料や薬味用の食べ物を決めている。

この調味料量の時はコレ!と言った感じだ。

シャア専用ザク的な。知らんけど。

勝手に少し紹介していこうと思う。

 

・ケチャップ

ケチャップはナポリタンで決まりである。

これに関しては異論はない気がする。

ケチャップ嫌いな人ナポリタン食べないでしょう。ピーマンが美味い。

デメリット:食べた後口を拭くのを忘れると幼児感が出る。おっさんがやるとキモい。

 

マスタード

マックナゲット。

小さい時はバーベキュー派だったが大人になってマスタード派になるのは勝手にあるあるだと思っている。

デメリット:剥がした蓋の反り。テーブルに着く。剥がさないと指につく。うざい。

 

ホワイトペッパー

マルちゃん麺づくり(醤油)。

醤油のカップ麺といえば麺づくり、異論は認める。

・ブラックペッパー

カルボナーラ。冷凍の薄いカルボナーラにバカバカ入れる。

デメリット:くしゃみ。

 

・七味

マルちゃん赤いきつね

元が甘いつゆのため底に沈澱するくらい入れて食うと美味い。

デメリット:山椒の実を噛んだ時のテンションの下がり方が異常。怒りすら覚える、「クリリンのことか!」とか叫びたくなる。

 

・わさび

蕎麦。

濃いめの麺つゆに大根おろし、わさび、海苔、ネギを大量に入れる。つゆというよりソース化している。

デメリット:調子に乗ると泣く。ぶつけようのない辛みが特徴、なんか「クリリンのことか!」とか叫びたくなる。

 

・生姜

そうめん。

濃いめの麺つゆに生姜、海苔、ネギ、みょうが、シーチキンを大量に入れる。つゆというよりソース化している。

デメリット:入れすぎると薬感が出る。「クリリンのことか!」とか叫びたくならない。叫びたいのに。

 

安くてすぐ食えるカップ麺や冷凍食品の方が、バカみたいな量の調味料や薬味に合う傾向があると思う。

 

貧乏舌バンザイ。

ココロガオダジョーナラネ。

憧れの著名人はいるだろうか。

単純に好きというよりも、自分もこうなりたいといった憧れである。容姿への憧れ、生き方への憧れ、色々とあるだろう。坂本龍馬のような歴史上の人物を想像する人も多いかもしれない。

 

私の場合はオダギリジョーである。

特にオダギリジョーに詳しいわけではない。

しかし、私の中でカッコいい=オダギリジョーの方程式が成り立っている。

「リバーズエッジ大川端探偵社」での胡散臭い探偵役は非常にハマっており、ドラマの雰囲気と相俟ってカッコいいを通り越してエロかったのを憶えている。

私はオダギリジョーのようになりたい。

しかし私は髭は似合わず身長も普通、もちろん映画監督の才能もなく、奇抜な服やアルパカのような髪型も似合わない。

 

ではどうしよう、じゃあこうしよう。

心はオダギリジョーであろうと

 

何言ってんだこいつと思われるかも知れない、頭大丈夫かと。

大丈夫だ、頭は冴えている、サイゼリヤの間違い探しだって半分くらい解ける。

 

心を憧れの人物に置き換える。

これは言い換えれば自分で自分にフィルターをかけることを意味する。

そうすることで自分の仕草、行動に自信が持てるようになるのだ。

オレハカッコイイ、オダギリジョーダカラ

心の中はこんな感じだ、言葉にすると相当ヤバい奴だが気にするな。

 

例えば、外で見たら自分の服ダサくね?と思ったとしよう。

「ダイジョーブ、オダギリジョーダカラ」

公衆便所の鏡で鼻毛が出てることに気づく。

「ダイジョーブ、オダギリジョーダカラ」

人がいる中、スカシでいけそうだと思ってこいた屁が音を奏でちゃった。

「ダイジョーブ、オダギリジョーダカラ」

シンプルにうんこ漏らしちゃった。

「ダイジョーブ、、ダイジョーブ?」

 

最後はさすがに無理ですね。

うんこを漏らすことには気をつけながら、試してみてはどうでしょうか。

進化しすぎてアホになる。

日々暮らしている。

 

暮らしの中で見慣れてきた、もしくは生まれた時からあることで当たり前になっていることも多いだろう。

私は今更ながら人工物にすごさを感じている。

この人工物というのはPCやスマホのようにあからさまなものではない。

例えば家とかだ。

 

自分の生涯が80年だとしよう。

何の知識や経験もない状態で投げ出されたとしたら80年あっても1人で家は建てられない。

建てるどころかドアノブひとつも作れない気がする。

 

道路とかどうなってんだと思う。

どんだけ続いてるんだよと。

当たり前のように車で道路を走っているが、こんな状況ありえないと感じる。

すごすぎて気持ち悪いくらいだ。

 

そんなことで驚く私を時代は置き去りにする。

自動車業界は100年に1度の変革期。

自動ブレーキ、自動運転の時代に突入している。

 

進化しすぎた未来を想像する。

色々なことが自動化され、働くことさえしなくてよくなった未来。

信じられないスピードで自動運転される車に乗っている私は口をあんぐりと開け、視線はどこも追っていない。

考えることをやめたアホ面でただ運ばれる。

そんな星新一の小説みたいな未来。

 

そんな未来も幸せなのかもしれない。

実家の飯に洗舌されている。

「びゃあ゛ぁ゛゛ぁうまひぃ゛ぃぃ」

悲鳴が実家にこだまする…

 

私は高校卒業後に大学に進学し、その時から現在まで、ずっと一人暮らしを継続している。

高校生までは実家の飯を食べて生きながらえていたわけだが、一人暮らしで飯を作ってくれる人はもちろん家にいない。

当初は自炊も多少していたが、面倒になりコンビニ弁当や外食が多くなっていった。

 

セブンイレブン最強」

この言葉を当時の私はよく口にしていた。

そのぐらいセブンイレブンの弁当や麺類、惣菜は私の胃袋を掴んでいた。

セブンイレブンとの幸せな結婚生活が頭に浮かんでくる。

しかし、贅沢なもので流石に毎日のように食べていると飽きてくる。

私はセブンイレブンと距離を置くことにした。

このままでは関係が悪化するに違いない。

お互いのためである。

 

「ほっともっと最強」

セブンイレブンと距離を置いた私の胃袋の隙を掴んだのは、ほっともっとだった。

のり弁からすき焼き弁当まで幅広いラインナップに私はメロメロになった。

何よりも豚汁が私の冷めてしまった心と体をポカポカにしてくれた。

この子と生きていこう。

すでにセブンイレブンとはお金(セブン銀行)刺激が欲しい一夜(蒙古タンメン中本)の関係でしかなかったため、私はほっともっととの関係を深めていった。

 

年末の帰省は?

ほっともっとの豚汁とアツアツな毎日を過ごす中、私に1通のメールが届く、実家からだ。

そういえば随分と帰省していない。

私は久しぶりに実家に帰省することにした。

 

当日、「もっと、もっと」とほっとさせてくる豚汁と弁当のせいでぐっすり眠っていた私は寝坊してしまった。

実家に着いたのは20時ごろ。

「夕飯は?」

母が尋ねてくる。

朝から何も食べていない、腹ペコだ。

「残り物しかないけど。」

夕飯に出たであろう生姜焼きが運ばれてくる。

「いただきます。」

何も考えずに食べた私の舌に電撃が走る。

(う、、うまい、、、うますぎる、、、、)

真っ白になった頭を正気に戻す。

(生姜焼きなんて誰が作っても美味いんだ)

そんなことを考えながら、煮物に手を伸ばす。

びゃあ゛ぁ゛゛ぁうまひぃ゛ぃぃ

抗えなかった。私の舌、胃袋はこれを求めていたのだ。セブンイレブンやほっともっととのこれまでの日々が味気ないものに変換されていく。

 

母の料理の腕が特別いいわけではない。

18年。生まれてから実家を出るまでの18年の歳月が私の味覚を洗脳、いや洗舌していったのだ。

外食で感じるうまさとは全く違う中毒性を帯びたうまさは唯一無二であった。

これを超えるには料理を作ってくれる人と結婚し、18年以上共に過ごすしかないだろう。

 

実家の飯は私を正気にさせた。

バカなこと言ってないで彼女作れと

 

なにが「もっと、もっと」だ。

恥を知れ。

人間観察という言葉への嫌悪感。

趣味が人間観察とか言う輩がいる。

 

いきなりの喧嘩腰で申し訳ないが、私は「人間観察」という言葉に非常にイラっとしてしまう。

ここで重要なのは自分から「人間観察」という言葉を使う人へのイラっであり。

三者から「人間観察が得意なんですね」というように使われることへの感情ではないということである。

 

例えば、犬の言葉が分かるようになったとしよう。

飼い犬でも野良犬でもいいが、犬が「趣味は犬を観察することかな」なんて言ったらどうだろうか。

私は言うだろう。お前も犬じゃねーかと。

「犬のくせに生意気な」という意味ではない。

なぜなら犬が「趣味は人間を観察することかな」と言っても私は別にイラっとしないからである。

では何にイラっとするのか。

犬が、自身も観察される対象である犬であることを自覚していないことへのイラっなのだ。

 

自分から「人間観察」という言葉を使う人は自身を俯瞰できていないのに、俯瞰しようとしている人が多いような気がする。

自分のことはさておき、相手をどう小馬鹿にしてやろうかという意気込みを感じてしまうのだ。

個人的な意見であるが、こういったタイプはプライドが高い傾向にあるため、逆にこっちがイジろうものなら面倒臭い展開が待っていることだろう。

 

そして書いていて思ったことがある。

私も自信を俯瞰できてないくせに、人のことを書いているので大差ないかもしれないということだ。

 

これ以上書くとブーメランどころかアイスラッガーになって真っ二つになりかねないのでやめておくことにする。

では、さようなら。ジュワッ!

血液型と性格。

日本には血液型で性格を4つに分類する習慣がある。

A型は几帳面、B型はマイペースなどよく聞くやつである。医学的根拠はほぼゼロらしい。

だが血液型による性格分類を信じている人は一定数存在し、特に女性に多い傾向にある。

 

私はというと全く信じていない。

性格を4つに分類すること自体が不可能であり、ナンセンスだと感じる。

そしていつも考えることがある。

 

ゴリラの95%はB型だということだ。

 

血液型が性格に影響するなら、ゴリラの性格はほとんど同じである。

そんなことあるだろうか。

気症の荒いゴリラ、穏やかなゴリラ、人懐っこいゴリラ、きっといろんなゴリラがいることだろう。

それをB型だからということで、まとめてしまうのはあんまりだと思わないだろうか。

それともゴリラをゴリラという一括りで片付けてしまうのだろうか。

そんな奴は投げつけられてしまえ。うんこを。

一度ゴリラの気持ちなって考えていただきたい、そうすれば血液型と性格なんて関係ないなと思うだろう。

 

また、ブラッドタイプ・ハラスメントなんて言葉も最近提唱されている。

血液型による性格の決めつけによるハラスメントである。

ハラスメントはよくない。

だから何かしらの行動に対して「何型でしょ?」と質問を投げかけられたら、投げ返してやろうと思う。

 

うんこを。

LINEニュースに救われる。

忙しない。実に忙しない。

社会はものすごいスピードで回っている。

RADWIMPSの「大丈夫」という曲に

「時の進む力は あまりに強くて」

という歌詞があるが、全くだよといつも思う。

たとえゴリラが20頭集まっても時の進む力には勝てないだろう。

ゴリラは時を止める必要ないだろうけど。

 

そんなゴリラの手も借りたいぐらい忙しくても、バナナを食べるくらいの休憩時間はとらせてもらえる。

そんな時に私はバナナを貪りながらLINEニュースを見ることを好む。

LINEニュースの何がいいのか。

それは、

 

くだらないニュースばかりなとこである。

 

見たことある人がいれば共感してもらえると思うが、くだらないニュースの多いこと多いこと

どうでもいいわ!と何回思ったことか。

でもそれが肩の力を抜いてくれるので、息抜きにはちょうどよいのである。

例えば、ちょっと覗いただけでも

・紅蘭、タバコをくわえる写真公開

若槻千夏、炎上で心折れる

・鼻から50年前のコインが

みたいな記事がありました。

なんかサザエさんの予告みたいですね。

 

…鼻から50年前のコインは気になるなぁ

 

てなわけで目まぐるしい社会に疲れた人は休憩時間にLINEニュースを見ることをお勧めします。

 

たまにくだらなさすぎてイラッとすることもあるので用法・容量は計画的に。