徒然甘蕉

chebuwriterのブログ

「いらっしゃいませ」に対する答え

私は自炊をしない。

飯を作ろうとすると材料が半端にあまり、捨てることになるうえ、洗い物がめんどくさいからだ。

料理が本当にうまい人は、そこら辺までしっかりとカバーできる人だと思う。

材料をやりくりして、捨てる食材は最小限であり、料理を作りながらできる洗い物は先にしてしまう。

私にはそんなことはできないので、諦めて外食やコンビニで済ませるわけだが、当たり前のことに私はお客様になるわけだ。

 

お客様になった場合、最初にかけられる言葉といえば「いらっしゃいませ」である。

中には「おかえりなさいませ」なんて独身ひとり暮らしをたぶらかそうとする店もあるようだが置いておこう。

話は戻るが、私が気になっているのは「いらっしゃいませ」と言われた時にどう答えるのが正解かということだ。

 

私は挨拶をされれば出来るだけ返したい性分であるため、「いらっしゃいませ」に対しても挨拶を返したいのだが、いつもどう答えればいいか分からなくなってしまう。

他の挨拶ではどうか。

 

「おはよう」には「おはよう」

「ただいま」には「おかえり」

「いただきます」には「めしあがれ」である。

 

「いらっしゃいませ」にはなんだろうか。

「きちゃいました」だろうか。

なんか腹立つ気がする。

「邪魔をする」だろうか。

かっこつけてる気がする。

そんなことを考えながら私の口から出る音は、

「…っーす」である。

 

空気が抜けたような挨拶だ。

そのまま萎んでしまえ。

女を捨てる、男を捨てる。

「女を捨てる」という言葉がある。

女性が自身の「女の部分」を捨てている場合に使われる言葉である。

所謂、女の子らしくないガサツで下品な女性を表す言葉である。

男女差別的な意味で捉えられるため、男から女性へはもう使われない言葉かもしれないが女性が自虐的に使うこともあるだろう。

 

「男を捨てる」という言葉はあるのだろうか。

男らしくない、ナヨナヨしてハッキリとしない男は「男を捨てて」いるのだろうか。

そもそも「男を捨てる」ということ自体に、男らしいような印象がある。

私が「あいつ、男捨ててんな」という言葉に対して浮かぶイメージは「ボロボロの服装でタバコを吸っている松田龍平のような男」である。

すげーかっこいい。

これは「男を捨てる」の「捨てる」の部分に男らしさを感じていることが原因だろう。

つまり、「男を捨てる」の「捨てる」という部分を女性らしい言葉に変えればいいのである。

例えば、「男を花壇に植える」とかどうだろうか。

 

「あいつ男花壇に植えてんな」

そんな言葉が向けられた先には、ひとりの男が見える。男は花壇に植えた自身の「男の部分」に毎日水をやり、微笑みながら話しかけるのが日課だ。

「今日もいい天気だね」

そう言いながら彼は自身の「男の部分」をそっと撫でる。

「早く大きくなるんだよ」

あくまで捨ててはいない自身の「男の部分」に彼は愛情深く接する。

しかし、彼の「男の部分」は元気がなくフニャリと折れ曲がったままだ。

「それでも大丈夫」

そう呟く彼の横顔はどこか哀愁が漂っていた。

 

あれですね。

「男の部分」と言うと相当ヤバイことしてる印象になりますね。

「木が倒れていて通れない」

RPGなんかで、道が木や岩で阻まれているシーンに出くわすと「木が倒れていて通れない」みたいなことを言われる。

私はその度にそのぐらい通れよと思う。

いや別に通れんだろと、いや頑張れよと。

ゲーム上で見るとキャラクターと同じぐらいの大きさの障害物だったりするわけで。

冒険者のくせして何を甘っちょろいこと言ってんだと、キャラクターを狂ったように木や岩にぶつけていくがやっぱり通れない。

ぶつけられまくったキャラクターの顔の形が変わったであろう頃に、渋々ストーリーを進めることにしていた。

 

ある日、私は倒れている木の前で立ち止まっていた。

前日、台風が通ったせいでいつも通る道に木が倒れ込んでいたのだ。

木の太さはそこまでではなく、15〜20cm程度だろうか。

しかし枝と葉が多く、ボリュームがある感じだ。

私はその光景を目の当たりにした時に「まぁ、頑張れば通れる」とも思ったが、それ以上に「通りたくねーわー、だるいわー」と思った。

頑張れば通れるが、通りたくはない。

結果、私はその道を通ることを辞めた。

雨でびちょびちょの葉っぱとたくさんの鋭い枝を目の前に面倒臭さが勝ったわけだ。

もし私がゲームのキャラクターだったならば、このびちょびちょの葉っぱと鋭い枝に対して何度も体をぶつけられていたと思うと、とても切ない気持ちになった。

これからはキャラクターの気持ちに寄り添おうと決めた。

冒険者でも嫌なものは嫌なのだ。

 

びちょびちょになりたい奴なんかこの世にいないのだから。

チューペットおじさんとペルー人。

小学生の頃、遊び場といえば小学校だった。

授業が終わり、家に帰って、また再集合。

グラウンドでサッカーすることが多かった。

そのサッカーに混じっていたのが、チューペットおじさん」と「ペルー人」だ。

今の時代では考えられないかもしれないが、割と頻繁に参加していた記憶がある。

どちらか1人の時もあれば2人いた時もあった。

いつの間にか存在して、いつの間にか参加する。

平和なものである。

 

チューペットおじさんは毎回、大量のチューペットを持参してきた。

駄菓子屋で買ってきたものなのだろう、当たり付きのチューペットだった。

お金なんて大して持ってない小学生の私達は、嬉しかった。

そして何故か分からないが、チューペットおじさんの持ってくるチューペット2本に1本の確率で当たりだった

チューペットの妖精なんじゃないかという噂もあった。

 

一方、ペルー人は只々サッカーが上手かった。

チューペットおじさんもサッカーが上手かったのだが、ペルー人はファンタジスタだった。

 

試合中にチューペットおじさんとペルー人の1on1になる場面があった。

チューペットおじさんVSペルー人

妖精VSファンタジスタ

今思えば謎の時間だが、私達は固唾を呑んで見守っていた。

仕掛けるペルー人

ついていくチューペットおじさん

フェイントを織り交ぜるぺルー人

ついていけずコケるチューペットおじさん

勝ったのはペルー人だった。

チューペットおじさんはコケて膝から血を流していた。

 

妖精の血は赤かった。

メントスの包装紙。

少し前に異物混入が問題になって以降、多くの製品の包装形態が変わったと思う。

昔はアイスのスーパーカップなんて蓋を外したら即アイスだった、しかもミッチリ。

エレベーターで例えると、扉が開いたらお相撲さんが6人詰まってるみたいなものだ、ミッチリと。

なのでスーパーカップの蓋には必ずアイスがついていて行儀が悪いながらも、舐めたのは良い思い出だ。

エレベーターで例えると、扉についたお相撲さんの汗を舐めることになるわけだ。

 

いや、ならないだろう。

そもそも何でエレベーターで例える必要があるのか謎だ、忘れてくれ。

 

話が逸れたが、今はスーパーカップにも内蓋が付いているため衛生的に安全だ。

エレベーターで例えると、ラップを身体中に巻きつけたお相撲さんが…忘れてくれ。

 

多くの製品の包装が強化されていく中で、脆弱なままの製品も存在している。

その顕著な例が「メントス」だ。

メントスがオランダ製ということが原因かもしれない。

包装形態は至ってシンプルであり、メントス14粒がそのまま紙に巻かれて両端を折っただけである。

なので紙を破いたら即メントスだ。

私はメントスが好きでよく買うのだが、買う度になんか不安な気持ちになる。

0.01mmのコンドームよりも不安だ。

紙だから穴とかすぐ空きそうだし、空気中の何かを吸収しそうである。

 

しかし、私はこれからもメントスを買い続けるのだろう。

グレープ味が好きなのだから。

 

そしてコンドームは0.02mmを使うのだろう。

0.01mmは価格が高いのだから。

 

ダサい考えである。

プライドの喪失。

自分のプライドは高いのか、低いのか。

それは相手からしか分からないかもしれない。

私はプライドが低い方だと思う。

昔、お付き合いをしていた人に「あなたはプライドないもんね。」と言われたことがあった。

プライドがないことはないと思う。

ただ、そんなことを言われてもフリーザと対峙したベジータのように歯がガチガチしなかっことから、やはり私のプライドは大したことなかったのだろう。

10代の頃はプライドもある程度あったような気もするが、その頃よりもプライドは大分低くなった。

そして、その原因を明確に記憶している。

正確に言うと「低くなった」というより「低くしようと心に決めた」記憶なのだが

 

私は20歳くらいの時に入院することになった。

全身麻酔を伴う手術を受けることになり、私は恐怖した。

尿道カテーテルに。

尿道カテーテルをご存知だろうか。

全身麻酔を伴う手術にて尿量測定のために用いられる直径5mm程度の管であり、尿道から膀胱まで通される

これを初めて聞いた人は思うだろう。

頭おかしいじゃん、と。

怖すぎるじゃん、と。

中には気持ちよさそうと思う極められた紳士もいるかもしれないが、私は違う。

まぁ仕方のないことなので、覚悟を決めた。

しかし手術を受けて目を覚ました私は安堵することとなった。

カテーテルがささっていなかったのだ。

手術時間が短かったからなのか、私の尿道処女は無事に守られた。

目を覚ました私に看護師さんは言った。

「おしっこがしたくなったら呼んでください、手伝いますから」

ここで私は安堵とプライドから過ちを犯す。

「いえ、1人で出来ます」

そうビシッと言ってしまったのだ。ビシッと。

そのあと小便をビシッとしたくなった私は尿瓶を手に取り準備をした。

が、どうにもうまくいかない。

というのも、なんだかんだ体には色々な管が付いているため動きづらいのだ。

そのうえ麻酔が切れ始め、力を入れると痛む。

迫る尿意。絡まる管。痛む傷口。

敢え無くして私は盛大に漏らすこととなった。

 

私は思った、なんて私は愚物なのだろうかと。

カッコつけずに言うことを聞いていれば、こんなことにはならなかった。

看護師さんを呼んで謝罪する私こと愚物

もちろん慈悲深い看護師さんは愚物を責めはしない、慣れているのだろう。

しかし、パンツを替えてもらうために下半身丸出しで軽いブリッジをするという滑稽なポーズをしながら、愚物は見てしまった、看護師さんの胸元の「研修中」の文字を。

申し訳なさと恥ずかしさが一気に込み上げた。

私はこの時に、変なプライドは持たないようにしようと心に誓った。

 

そして思った。

変な性癖に目覚めなくて良かったと。

「w」を使いたくない心情。

「w」。別名「草」。

笑っていることを意味する記号である。

調べてみると意外と起源は古く、1996年頃からあるらしい。

当初はネトゲ2ちゃんねるなどで普及し始めたが今では使わない若者の方が少ないだろう。

 

しかし私はどうも「w」を使うことに抵抗を感じてしまう。

「笑」を使うことには抵抗感がなく、むしろよく使う。

ラインなどで相手から使われる分には気にならないが自分が使うことはできない。

「w」と「笑」、何が違うのだろうか。

 

「w」にしても「笑」にしてもとても便利なものであることに違いない。

というのも人は人と直接会って話をする場合、言葉の中で相手の心情を判断する材料が非常に多い。

・言葉(言葉自体の意味や使い方など)

・喋り方(抑揚の付け方や声の大きさなど)

・表情や仕草

・会話の間

などである。

これが電話になると相手の表情、仕草が分からなくなるわけだが、LINEなどではどうか。

もし絵文字やスタンプが使えなければ、判断する材料は「言葉」だけである。

「言葉」のみで相手の心情を察することは非常に難しい。

私だけかもしれないが、絵文字やスタンプでは感情の振れ幅が大きすぎるように感じる。

その点「w」や「笑」はちょうど良い。

絵文字やスタンプがアクションやリアクションとするならば、「w」や「笑」は言葉の抑揚といったところだろうか。

語尾に何もない場合とある場合、印象はどう変わるのだろうか。

 

「どうでもいいわ」という言葉につけてみる。

 

①どうでもいいわ

②どうでもいいわw

③どうでもいいわ笑

 

どうだろうか。

人によって受けとり方が違うと思う。

私の場合は①は冷たい印象を受ける。

表情で言えば無表情であり、相手の気持ちを考えていない。会話を続けたくない印象である。

②はツッコミに近い印象でやや鋭い。

続く言葉としては「なに言うてんねんw」だろうか。エセ関西弁だが。

口に出すなら若干早口である。

③もツッコミだか柔らかい印象である。

言われた言葉につい笑ってしまった感じだ。

口に出すなら若干ゆっくりである。

 

②はツッコミで笑いを取り、③はボケで笑いを取りツッコミは添えるだけみたいな。

自分で言ってて分かりづらいが、

要は②は若干の煽りが入るかんじである。

 

これが私が「w」を使いづらい要因な気がする。

ツッコミは信頼関係によって成り立つものだと思う。信頼関係が無ければ相手をイラつかせてしまう難しいものだ。

直接会って話をする時でさえ難しいものなのに、相手の表情すら分からないのであれば尚更である。

相手を不快にさせたくない。その一心である。

だが逆に言えば、それは相手を信頼していない、相手の度量を小さくみてるとも言える。

これからは「w」を使おうと思う。

いっぱいつけちゃおうwwwwwwwwww

この記事を見た人は思うだろう。

 

どうでもいいわ

 

冷たい印象である。