人間観察という言葉への嫌悪感。
趣味が人間観察とか言う輩がいる。
いきなりの喧嘩腰で申し訳ないが、私は「人間観察」という言葉に非常にイラっとしてしまう。
ここで重要なのは自分から「人間観察」という言葉を使う人へのイラっであり。
第三者から「人間観察が得意なんですね」というように使われることへの感情ではないということである。
例えば、犬の言葉が分かるようになったとしよう。
飼い犬でも野良犬でもいいが、犬が「趣味は犬を観察することかな」なんて言ったらどうだろうか。
私は言うだろう。お前も犬じゃねーかと。
「犬のくせに生意気な」という意味ではない。
なぜなら犬が「趣味は人間を観察することかな」と言っても私は別にイラっとしないからである。
では何にイラっとするのか。
犬が、自身も観察される対象である犬であることを自覚していないことへのイラっなのだ。
自分から「人間観察」という言葉を使う人は自身を俯瞰できていないのに、俯瞰しようとしている人が多いような気がする。
自分のことはさておき、相手をどう小馬鹿にしてやろうかという意気込みを感じてしまうのだ。
個人的な意見であるが、こういったタイプはプライドが高い傾向にあるため、逆にこっちがイジろうものなら面倒臭い展開が待っていることだろう。
そして書いていて思ったことがある。
私も自信を俯瞰できてないくせに、人のことを書いているので大差ないかもしれないということだ。
これ以上書くとブーメランどころかアイスラッガーになって真っ二つになりかねないのでやめておくことにする。
では、さようなら。ジュワッ!